長持ち=豆板
お嬢さん=生砂糖・栗かのこ
子供=納豆衣がけ 
笹=生砂糖



 昔の、万事のんびりした時代でも、20日を限りに正月気分を脱した。正月用の年肴の骨や頭も、この日で食べつくすというので、骨正月、かしら正月などという。ごちそうも、モチも、この日でおしまい。だから当日は、年神だなにも、ほんのしるしばかり粗末な供え物を載せた。こじき正月とか、奴正月とかいうのは、そのゆえである。15日の小正月の飾り物も、20日には取り納める。
京阪地方では近世鰤(ぶり)の骨を煮て食するので骨正月という。鰤は小より大に至るに従って次第々々に名をかえる。成長につれて名が変る如く人も師の教によって心の徳が増すことを祝う。師は人の孝悌の道を教え、天下を治める道さえも知らしめるものである。そこで、縁起のよい魚偏に師の字を書いた鰤を用いたと言われている。
又、団子を作って食する。これを二十日団子というのである。又、赤小豆餅を食し、赤飯を蒸す。

びょうぶ・座布団=生砂糖
だるま=片栗






凧=生砂糖
糸こま=こなし 雲=有平糖


 
 節分は立春の前日で、疫神楽、追儺式節分の当日には大祭があり、古いお札などを焼く火炉祭追儺式は又鬼やらいともいい、平安時代の初期から催されている。黄金四ツ目の仮面をかぶり蛮族差ながらの大舎人が玄米朱裳を着けて楯矛をもった方相子と、子と呼ぶ子供たちを従えている。赤鬼青鬼が鉄棒を持って来る。年男は上郷が桃の木の弓、葦の先をつがえて疫鬼を射る。又鰯の頭を柊の葉にさして門口にさしておく。(門守)京都の習慣としては吉田神社、壬生寺が有名。

[福豆]
桃山生地でアンを包んで、豆の形にして焼いたお菓子。

[お多福]
阿亀ともいい豊かな顔の福神系に属し、この面が作られた頃は、よい人相、福相と見られた。茶菓としてのお多福は落雁で出来ており節分の福の神に取り合わせられる。

[桝せんべい]
四方形種に焼筋を入れ豆升の形をあらわしている。他にも次のような菓子が用いられる
<ねじり棒 豆落雁>
倉=薄種 袖=生砂糖
鎌=有平糖



 西暦1207年2月24日、ローマ皇帝クラディウスが自由結婚を禁じたのに反抗して殺された聖人バレンチヌスを祭る日。14世紀頃から男女の恋愛に結びつけられるようになり、日本には戦後、アメリカから伝えられ、今では、知らない者がいないくらい普及してきた外国の風習の一つである。この日から小鳥が交尾を始めると伝えられ、恋人達の間にハート型をした送り物や、キューピットなどの絵を描いた恋文を贈る習慣がある。やぶれた恋も、聖人バレンチヌス(バレンタイン)に祈れば、もとに返るともいわれ、又この日は女性から男性に愛の告白をしてもいい日とされ、恋文を出すことも許されることになっている。
<飾り菓子 チョコレート>
写真は、京菓子協同組合青年部穏歩前進より掲載。

当ページに掲載されている情報・画像を、無断で転用・複製する事を禁じます。