藤花=すり琥珀製、
黒文字の矢柄=生砂糖製、
矢羽根=ソギ種製。





扇子=餡平と生砂糖製、
葵の葉と水=生砂糖製。






 出産祝にかけつけるのは肉親だけ、産婦にとっては大切な休養の時だから、肉親以外は遠慮すべきである、親戚、知人には数日後に知らせる。「3つ目」といって祝う。赤ちゃんや産婦の身のまわりをきちんとしたり、助産婦に心づけをしたりする。又この時、産婦の実家から、よく乳が出るようにと、産餅を贈る。3日目頃ともなると、喜びを知らされた人がそろそろかけつける。「宇都保物語」の花笠のくだりにも出てくるが、長夜の宴となる。
「五夜目」4日目はえんぎが悪いと、5日目になるのをまって喜びを聞きつけた人々が集まり、又もや長夜の宴となる。「お七夜」六は易の上で吉凶両道に立つ数であるから、いっその事7日目にしようと、その他の人々がきた所で同じく祝宴。奇数は、陽と数という教えから七、五、三が自然にならび腹帯も七尺五寸三分にするとか、後には、七五三のならわしができて来た。お七夜は、子供の名を披露する儀式であり、産婦も始めて席につくわけで孫祝とも云って、里からの正式の訪問日としている。「孫渡し式」昔は産科産院がなく嫁は実家に帰ってお産をした。生まれた赤ちゃんは、自然と実家の母が世話する事になりこの孫渡し式が出来た。産後21日目である。使用された菓子は、三ツ目、産餅等がある。宮中のお七夜では「ほらがい餅」を使用している。ほらがい餅は、一個づつは、名前どうり貝形で、それをいくつも作って、全体も又ほら貝型に積み上げた元来節供菓子で年二回使用されていた。上己には、緑色(よもぎを表わす)のものを、重陽には白を使用。この頃の餅は味付けをせず、砂糖、味噌、塩を好みに応じてつけて食べた。江戸中期以降になって、餅にも味付けし、又、中に餡を入れる様にもなった。これより少し古い年代には「小戴き餅」といって偏平な丸い餅にやはり付塩、付味噌等で食されたが、しばらくして餅をくぼませ、餡、あづきを置くようになる。
<産餅 小戴き餅>
茅の輪=大丸種に和三盆入りすり密製、人形=生砂糖製。

[子 見(ややみ)]
子見とは出産祝の事、子供が生まれた家では母親が床から出て、動ける様になるのを待って、近所の婦人達を呼び祝宴を催した。招かれた側は、米一升または、鯛等を持参して集まり、用意きれた御馳走をたべる。この時、子供を抱いた母親が一座をめぐり、客のひとりひとりに子供の顔を見せてまわる。宗教的な行事や「元服」といった格式ばったものではなく、村の婦人達の会合、レクリエーションの一種である。

写真は、京菓子協同組合青年部結成20週年誌より掲載。
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