杣の木漏れ日

 
 今年の歌会始めの御題は、「苗」である。
宮中で歌会始めが開かれるようになったのは中世の頃からで、
永和(1377)と文献にあり、それ以前には御会(ぎょかい)始めといっていたらしい。
謡曲の「草紙洗小町」には“御歌合わせ”に小町と黒主とが天皇の御前で「浮き草」という題で和歌を詠み競う場面がある。
現代になってからは明治3年以降恒例の行事になった。
歌会に因む迎春菓をいつの頃から作り始めたのかはわからないが、干支とともに意匠を考案するのが菓子屋の宿題のようになっている。
御題「苗」に因む意匠菓子で初点前を楽しまれた茶人も多いだろうが、ここに紹介する「杣の木漏れ日」という菓子も「苗木を植う」という季語に連なり、面白いかと思う。
岐阜県中津川の満天星(どうだん)一休製の「杣の木漏れ日」は、信州産の市田柿を柔らかく干柿にし、中津川特産の栗きんとんを、柿の中に包みこんだ自然の陽の匂いが籠もる美しい菓子である。
杉苗を植林した山路を歩くとき、渓流の音や小鳥の囀りとともに、年輪を重ねた木立の間から洩れくる小春日。
歌会始めに詠進される和歌の内容とともに、もう来年の御題に関心をよせるのは、菓子屋の業でもあろう。






釣鐘饅頭
 
 去年、京都市の伝統産業功労者に選ばれた、老松社長・太田惟士氏をご訪問した折り、「蒔菓子」のことに話がふれた。
舞踊の番組にちなむ意匠菓子を上七軒の芸妓さんや素人の披キにつくった、ものだという。祇園界隈では、舞妓や芸妓が千回の座敷を務めると「千寿(せんじゅ)」といって、紅白まんじゅうや意匠菓子を撒く慣わしがある。
花街に拘わらず能や謡の重習いを舞台で被くときなども、必ずといってよいほど「蒔菓子」を用意する。
太田氏の記録ノートには、その折々の意匠が綴られ、色彩・大きさ・製造に関するメモがぎっしりと書かれていた。
そのノウハウは、日毎の生菓子や干菓子、独自の創作的な販売菓子に生かされて、業務の発展をみているようだ。
しかし、いま「蒔菓子」は、消えゆく泡沫のような運命にある。誰も番組にちなんだ意匠菓子を特別に誂えなくなってきたからである。有名菓子店の銘菓セットや紅白薯蕷をよくいただく、からか。
一昔前までは手前共でさえ、さくらとつり鐘(道成寺)、藁家と琵琶(景清)、巻き物と梵天(勧進帖)以上謡曲。晒布と桶(近江のお兼)、煙管と煙草袋と京人形(人形ぶり)、牡丹と蝶々(鏡獅子)以上舞踊。などと注文に応じた意匠をつくっていた。
そのままで「蒔菓子」になる砧(長久堂)や松風(亀屋・松屋)、木賊煎餅、つり鐘饅頭(大阪・釣鐘屋)もあるが、京菓子“司”を名乗る上は、不特定多数でなく、そのお客様に応じた意匠菓子を考案し、喜んでもらいたいものだ。

写真は、京菓子協同組合青年部結成20週年誌より掲載。
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