御堂=餡平・片栗
紅葉・苔=餡平 川=生砂糖





数珠=有平糖・生砂糖





とび石=落雁
池=ザラメ糖 蓮=生砂糖


 陰暦では、7、8、9月が秋とされ、従って仲秋の名月とは陰暦8月の満月のことである。新暦では9月中頃過ぎにあたる。月の美しさを観賞するという美意識は西欧には見られない。元々中国の習俗であるが、日本独自の文化を作り上げた。
 8月十五夜の月を観賞するのに里芋の子の皮をつけたままで蒸した衣被を盛って供えたところから芋名月と呼ばれている。宇多天皇が寛平9年(897)、宮中に観月の宴を催されたのが発端となり、月見にだんごを供える習慣が出来、芒、芋等と共に三宝に15個盛った。最近の月見だんごは、これに由来したものである。
 又、旧暦9月13日の夜を「後の月」といって枝豆や栗を供える。仲秋の名月とは趣も異なって、我国特有の行事である。これを豆名月といっている。
 一般家庭では月神や玉兎の絵像をかかげ、日が暮れかかったら、月の出る方向に台を据え、秋の七草を生け、酒、団子、里芋等をお供えする。婦女子は月に向かって礼拝し、宴を開いた。
<月見だんご>




 冬の季節を迎えるため、昔から茶道では、陰暦10月中の亥の日に炉開きをする。江戸時代は武家は10月初亥の日、町家では第2の亥の日に炬燵開きをしたもので、火を使っても安全であるという。陽暦でも11月で同じ気候となって、重要な行事となり、新茶の壺の口を切って使い始める時などに亥の子餅を使用する。

[亥の子餅]
 玄猪ともいう。旧暦10月中の亥の日、亥の子といって、餅を搗いて贈答する。初冬の亥の日、亥の刻(午後9時から11時)にこれを食し、無病のまじないとする中国の俗信に基づいてわが国でも平安朝(寛平以前)以来行われ、禁裡では内蔵寮から御厳重餅を調進する儀式がある。
 亥の子餅を食べ始めた時は不明であるが、古くは大豆・小豆・大角豆・ゴマ・栗・柿・糖の七種の粉を入れた餅を作ると記されている。室町末期頃のお亥猪は、一升取り紅白楕円形の餅7個のほかに、白色と小豆黒胡麻で色をつけた赤黒の3種で、径6分の碁石のような形のものであった。これは儀式が済んでから上下一般に下さる餅であって、初の亥の日には菊花、中の亥には楓、3度目は鴨脚にしのぶを添え、段紙あるいは杉原紙に包むとある。また、位により餅の色も違う。武家においても鎌倉時代より行われていて、餅も儀式も多少異なっていたようである。この時天皇は亥の方を向き、松の木で作ったツクツクと称する立鼓型の小さい臼と柳で作ったナカボソという兎の持っているような杵を用いる。茶道具では水指・花入・香合にこの形を模したものがある。
<織部薯蕷 ぜんざい しるこ>
写真は、京菓子協同組合青年部美味創心より掲載。
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